こんにちはユキチです。
今回は信州小諸に位置する「小諸城址懐古園(こもろじょうし かいこえん)」をご紹介したいと思います。
このお城は象徴的な天守閣や櫓などは無く、見た目には比較的おとなしいお城と思われるかもしれません。
しかし実はその造りや築城場所などを深堀りしてみると、日本で唯一の特徴を持つ非常に興味深く魅力的なお城です。
本記事では、このお城の歴史背景から園内外の楽しみ方までを詳しく解説し、小諸城址懐古園を存分に楽しむための情報をお届けしたいと思います。
小諸城址懐古園とは?
日本100名城に選ばれた小諸城の歴史
小諸城址懐古園は長野県小諸市に位置する平山城に分類される城郭です。
小諸の地に城が構えられた起源は平安・鎌倉時代にさかのぼり、木曽義仲の武将である小室太郎光兼という武将が現在のお城の東側に館を築いたことに始まります。
戦国期に入り、1487年(長亨元年)小諸に土着した大井氏が鍋蓋城(現在の小諸市本町付近)をはじめ、支城の乙女城(現在の小諸城二ノ丸跡の辺り)などを築城し、周辺の外敵に備えていきます。
その後甲斐の武田信玄が信濃に進出して来ると、大井氏はこの地を追われて小諸は武田家の支配下となります。
この頃武田氏によって城の縄張りが再構築され、現在の小諸城の原型が構築されたといわれています。
この際の縄張り・築城は、かの武田家軍師・山本勘助によるものと伝わります。ただし実質的な史料は無いとのことで定かではありません。
武田家滅亡後は織田氏・徳川氏と支配が移り、豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼし天下統一を成すと、小田原攻めでの功績があった仙石秀久が小諸5万石で封ぜられ、新たな城主として入城します。
秀吉が他界した後、秀久は徳川家に臣従し関ヶ原の戦いでも東軍に味方します。
関ケ原の戦いで徳川秀忠が足止めを食らった第二次上田合戦に際しては、秀忠の本陣として小諸城が歴史の表舞台に名を残します。
関ケ原合戦後も秀久は小諸の地を安堵され、初代小諸藩主として幕府の信任厚い大名となります。
そんな小諸城が中世城郭から近世城郭へ変貌を遂げ、現在も遺構が見られる堅固な城になったのは、この仙石秀久によって大規模な改修と城下町の整備がなされたからでした。
日本で唯一の特徴【穴城】
小諸市には市の南部から西部に貫流する千曲川が流れていますが、市街地からこの千曲川までの高低差は約100メートル程度あります。
小諸市は坂の街といわれており、実際に城下町を形成していた市街地から小諸城址方面に向かっていくと結構な下り坂となっており、その高低差を実感することができます。
つまり小諸城は城下町よりかなり低い場所に築城されており、その特徴から【穴城】とも呼ばれています。そして日本において【穴城】の特徴が見られるお城はこの小諸城のみ。日本唯一となります。
小諸城は千曲川に接する河岸段丘上に築城されています。この段丘は浅間山の火山灰が堆積した高原丘陵を河川が削り取った”田切地形”となっており、垂直かつ崩れやすい断崖となっています。
こうした千曲川や田切地形による天然の堀などによりお城の背後は敵の侵入する隙を与えず、かつ低い位置にあることで正面からの敵の侵入もしづらい構造になっています。
この特徴を知ったとき、今までなんとなく懐古園としてみてきた小諸城が一気に魅力的かつ興味深いお城となり、私的にかなり推しのお城となりました。
懐古園の誕生と魅力
仙石秀久によって整備された小諸城ですが、その後秀久の跡を継いだ仙石忠政が信州上田へ転封となり小諸の地を去っていきます。
ちなみに仙石忠政は上田へ移った後、現在もその遺構が見られる上田城を築城しています。
仙石家が小諸を去った後、小諸藩主は松平氏・青山氏・酒井氏などが入れ替わり、1702年(元禄15年)越後国与板より牧野康重が1万5千石で入封された後は牧野家10代が明治に至るまで約170年間居城とします。
やがて明治維新を迎え小諸城が廃城となった明治時代、お城は小諸藩の旧士族たちに払い下げられますが、この旧士族たちにより本丸跡地に「懐古神社」が建立され、周辺を「懐古園」と呼ぶようになります。
1926年には本格的な公園設計により整備され、「懐古園」として公開されました。園内には歴史的な遺構に加え、美術館、動物園、児童遊園地など、多彩な施設が揃い、家族連れから歴史愛好家まで幅広い層が楽しめるスポットとなって今日に至ります。
懐古園を歩く!定番から穴場まで
小諸城大手門
小諸城の正門にあたる大手門は、1612年(慶長17年)に仙石秀久が行った大改修の際に築かれたものが今に残る貴重な建造物です。
いかにも戦国武将が築いたという質実剛健な造りとなっており、築城当時は珍しかったとされる瓦葺きの屋根から瓦門と呼ばれたとも伝わります。
大手門の2階部分は居室風となっており、明治に入り民間の所有となった時期には一時塾の教室としても使われたりするほどのスペースとなっており、造り的にいわゆる入母屋造りとなっています。
明治の民有時期に一部改造された箇所もありましたが、小諸市の所有となってから平成16年から平成20年にかけて大規模な解体修理工事がおこなわれ、江戸時代の本来の姿を復元しています。
見た目から堅固さが伝わるこの門は、名だたる城郭の大手門の中でも随一といえるのではないでしょうか。
ちなみにこの大手門と三之門は国の重要文化財に指定されています。
三之門
大手門からのルートでたどると、小諸駅へおりてきて線路下を通る遊歩道のトンネルを抜けた先に三之門が佇んでいます。
おそらく懐古園といえばこの門が掲載されているガイド資料などを、目にする事が多いのではないでしょうか。
実際に小諸城自体の正門は大手門ですが、三之門に掲げられた「懐古園」の額が表す通り、懐古園の入口がこの三之門となっています。
ちなみにこの「懐古園」の文字は徳川宗家16代目を継いだ徳川家達(いえさと)公の直筆となります。
三之門も江戸期の現存遺構として国の重要文化財に指定されている貴重な門ですが、一番最初の慶長期に建てられたものは1742年(寛保2年)に発生した「戌の満水」と呼ばれる小諸一帯を襲った大洪水で流失しています。
現在見られる三之門はその後1765年(明和2年)頃に再建され、修復を重ねられてきたものとなります。
この三之門をくぐるといよいよ城内に入って来たという感じを得られると思います。
これより先の園内は入園料がかかりますので、事前にチェックしておきましょう。
料金所・発券機が三之門内にあります。
- 共通券
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利用範囲 :懐古園散策・動物園・微古館・藤村記念館・小山敬三美術館・小諸義塾記念館 すべてを利用可。
高校生以上:一般500円 団体(20名以上)400円 障害者手帳提示者 100円
小・中学生:一般200円 団体(20名以上)150円 障害者手帳提示者 50円 - 散策券
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園内の散策のみ ※散策券は割引なしとなります。
高校生以上:300円
小・中学生:100円
「共通券」は懐古園にある各記念館や動物園の観覧・入園料も含まれるのでかなりお得です。
園内を気軽に散策のみしたいという方は、「散策券」を利用しましょう。
「散策券」には団体や障害者手帳をお持ちの方も割引はなく、全員共通の料金となります。
二の丸跡
三之門・料金所から向って右手に見える石垣の上に位置するのが二ノ丸跡です。
天下分け目と言われる関ヶ原の戦いの際に、徳川軍本体3万8千の軍勢を率いて中山道を進んだ徳川秀忠は、西軍についた真田昌幸・信繁(幸村)父子が籠もる上田城を攻略すべく、上田城と目と鼻の先となるこの小諸城に入ります。
その際に当時の小諸城主・仙石秀久はこの二ノ丸に本陣を構え、秀忠を迎え入れたということです。
結果、上田城の真田に翻弄され無駄に足止めをされた事となり、秀忠軍は関ケ原本戦に間に合わなかったという失態を犯すことになります。
そんな徳川秀忠にとっては悲劇の舞台となったこの場所で、どのように思い悩み悔しんだか秀忠の胸中に迫るのも、今となっては一興かもしれません。
またこの二ノ丸に入る石階段左手の大きな石垣には明治期の歌人・若山牧水が小諸逗留中に詠んだ歌が刻まれています。この若山牧水や島崎藤村など小諸には文学的・芸術的文化人とのつながりも多数あり、それらの軌跡を辿ってみるのもとてもおもしろいかと思います。
黒門橋と紅葉谷
本丸に入る唯一の入口となる黒門へ渡るための橋がこの黒門橋です。
橋の下は人工の空堀となっており、約8メートルほどの深さとなっています。
この橋は「算盤橋」とも呼ばれ、かつては算盤のように滑車がついており本丸側に引き込むことができるようになっていました。
有事の際には本丸への最終防衛ラインであるこの黒門橋を渡れなくする事で、敵の侵入を妨げる役割を持っていた重要拠点です。
黒門橋という名前の由来にもなった当の黒門は、廃藩後に同じ小諸市内にある曹洞宗の寺院である正眼院に移築されており、現在その跡地には礎石と周囲の石垣のみが残っています。
正眼院に移築された黒門は、現在もそちらの寺院においてその姿を観ることができます。
またこの黒門橋周辺一帯は「紅葉谷」と呼ばれ、紅葉スポットとして色鮮やかな紅葉を楽しめます。
秋にはぜひ訪れたい観光スポットとなります。
本丸と懐古神社
黒門橋を渡って左手に進むと本丸跡地に到着します。
ここには廃藩後1881年(明治13年)に旧小諸藩士族たちによって建立された、懐古神社が佇んでいます。
藩主であった牧野家の歴代当主の霊を祀ると同時に、藩政時代から城内を鎮守する天満宮や火魂社を合祀しています。
学業成就などのご利益があるとされ、多くの参拝者が訪れます。
神社の庭には「鏡石」とよばれる光沢感がある石があります。
この石は武田家の軍師・山本勘助が愛用した石といわれ、鏡のような石に自身の顔を映し出し日々内省して思慮を深めたと伝わります。
実際に間近で見ることができますので、ご自身の姿を映し出してみてはどうでしょう。
天守台
小諸城にかつては三重の天守閣が存在していました。
その確かな証拠がこの天守台となります。
天守が健在した時は金箔瓦が葺かれていたとの事です。
天守閣自体は1626年(寛永3年)に落雷により焼失し、それ以降幕府の許可も出ることがなく、再建されることはありませんでした。
本丸を囲う石垣は約6メートル程度の高さがありますが、この天守台はもう一段高い石垣となっています。
天守台の上には本丸側から登る事ができますが、手すりや柵などの設置が無いので充分気を付けて登りましょう。
特に小さいお子さんには要注意です。
水の手門・水の手展望台
お城の西北端に位置するのが、現在は展望台となっている水の手展望台です。
ここから眼下に千曲川の渓流を眺められる絶景スポットとなっています。
この場所には敵に攻められ、いよいよ落城という場合に城主一家が城外に逃れられるように門が設置されていました。
普段は開かない門なので「不明門(あかずのもん)」と呼ばれていました。
実際には使われることはなかったのですが、城主が落ちのびるための場所としてはかなり険しいルートではなかろうかと思うほど、断崖絶壁な場所です。
ここを訪れるとお城の後方がとても堅固であった事が伺えます。
子供も喜ぶ懐古園のおすすめスポット
小諸市動物園
懐古園の中には市営の動物園があります。
この動物園の歴史は長く大正15年に開園し、長野県内では最も古い動物園となります。
また全国的に見ても5番目に開園しており、歴史を感じる動物園です。
古いといってもライオン・ペンギンなどをはじめとして、56種287点の動物を飼育しており動物とのふれあいやエサやりなども体験できて見ごたえのある動物園です。
2024年12月現在、園内の整備工事を実施するため部分休園となっており、更に12月の毎週水曜日及び
12月29日から2025年3月末まで全面休園となる予定です。
動物園に関しては工事が完了する2025年4月以降の開園に期待しましょう。
小諸市児童遊園地
懐古園の南側には小諸市児童遊園地があります。
ちょっと昭和を感じるアトラクションがそろうこの遊園地は入場無料ですが、各アトラクション利用が200円となっており、乗り物券を購入して利用します。
アトラクションはメリーゴーランドやコーヒーカップ、ツインドラゴンや豆汽車などこれぞ遊園地といったものがそろっています。
小さいお子さんを遊ばせるには充分ですし、それほど混んでもいないので、待ち時間も少なく意外と穴場な遊園地かと思います。
なお乗り物券は1枚ずつでも購入できますが、6枚1000円のセット券があり、5枚分の料金で1回お得に利用できます。
ここへのアクセスに関してですが、車の場合、懐古園駐車場(三之門側)に駐車すると動物園を右手に下り坂をある程度歩きます。帰りも上り坂となるため、小さいお子さん連れで遊園地メインに訪れる場合は、遊園地に隣接する「懐古園第3駐車場」へ駐車する事をおすすめします。
あと発券機は現金のみとなっているようなので、普段カードや電子マネーなどキャッシュレス決済を利用している方は要注意です。
懐古園をもっと楽しむために
季節ごとの楽しみ方
懐古園は季節を通してその景観を楽しめる場所となっています。
春には桜の名所として「日本さくら名所100選」にも選ばれており、園内にはソメイヨシノをはじめヒガンザクラ・
シダレザクラなど約500本の桜が城内を彩ります。
また「小諸八重紅枝垂れ(コモロヤエベニシダレ)」という小諸固有の桜も咲いており、これらも見どころの一つです。
4月の初旬からは「小諸城址懐古園桜まつり」も開催され、期間中は夜桜のライトアップや屋台の出店、その他のイベントも盛りだくさんで園内も観光客で賑わいます。
また秋には紅葉が園内を彩り、この時期も「小諸城址懐古園紅葉まつり」が開催されます。
黒門橋から眺める紅葉谷の紅葉は、とても色鮮やかで目を奪われます。
紅葉まつりの時期も春と同様に屋台の出店やライトアップイベントなどで園内が賑わいます。
こうした季節のイベントも盛んに行われており、一年を通して各季節の彩りを楽しめる城址公園といえるでしょう。
まとめ
小諸城址懐古園は四季折々の美しい景観を提供してくれる憩いの場でありながら、実は歴史的視点から見ると日本唯一の穴城という造りであったり、実際の戦国史に残るイベントの舞台であったりと歴史的価値が非常に高いお城といえます。このような歴史的背景を思い描きながら散策すると、より一層その魅力を感じることができると思います。
ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
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