【お城初心者向け】現存天守とは?ポイントを分かりやすく解説!

お城巡りに興味をもつと「現存天守」というキーワードに行き着きます。「現存天守って何?」と疑問に感じたことはありませんか?
実は歴史初心者の方やお城好きの方にとって、「現存天守」は日本の歴史や文化をより深く知るための重要なキーワードです。

この記事では、歴史初心者でも分かりやすく「現存天守」の見どころやポイントも紹介します。お城巡りをもっと楽しみたい方に、現存天守の魅力を余すところなくお伝えします!

目次

現存天守とは?初心者向けの基本解説

現存天守とは何か?

現存天守とは、【江戸時代以前に建てられた天守が、そのままの形で現在まで残されている城の天守】の事をいいます。

なんでもかんでも天守があるお城というわけではなく、上記のような定義に基づいているお城を指すのです。
ただし必ずしも創建当時(最初に建てた時)の建物が今まで保存されているという事ではなく、長い歴史の中で改築・修復や組み直しなどは行われながら、現在まで保存されている天守となります。
そして「現存天守」と呼ばれるものは日本全国に、わずか【12棟】しか残っておらず、その歴史的価値は非常に高いものとなります。
現存天守は、現代に再建された天守や、資料に基づいて復元された天守とは異なり、【歴史そのものを体験できる貴重な文化財】です。
歴史好きやお城巡りをする人はもちろん、旅行好きな方々にも是非訪れていただきたい場所です。

なお現代になって再建・復元された天守は「現存天守」に対して、「復元天守」「復興天守」「模擬天守」などと呼ばれます。

現存12天守はこちら

では気になる12棟の「現存天守」を有するお城はというと、以下の12城となります。

  1. 姫路城  : 兵庫県姫路市  
            ※ユネスコ世界遺産登録
            ※国宝・重要文化財
  2. 犬山城  : 愛知県犬山市  
            ※国宝・重要文化財
  3. 松本城  : 長野県松本市  
            ※国宝・重要文化財
  4. 彦根城  : 滋賀県彦根市  
            ※国宝・重要文化財
  5. 松江城  : 島根県松江市  
            ※国宝・重要文化財
  6. 弘前城  : 青森県弘前市  
            ※重要文化財
  7. 丸岡城  : 福井県坂井市  
            ※重要文化財
  8. 備中松山城: 岡山県高梁市  
            ※重要文化財
  9. 丸亀城  : 香川県丸亀市  
            ※重要文化財
  10. 松山城  : 愛媛県松山市  
            ※重要文化財
  11. 宇和島城 : 愛媛県宇和島市 
            ※重要文化財
  12. 高知城  : 高知県高知市  
            ※重要文化財

以上のように、12の天守はそれぞれが国の重要文化財に指定されており、そのうち5か所が国宝に指定されています。
また姫路城についてはユネスコの世界遺産として登録され、世界的にも貴重な文化財として認識されています。

 なぜ現存天守は貴重なのか?

現存天守が特に重視される理由は、その「歴史的なリアリティ」にあります。復元天守や再建天守は、近代の技術で再建されているため、当時の姿を完全に再現できているわけではありません。
しかし、現存天守は、【当時の建築技術や素材がそのまま残されているため、歴史のリアルな感覚を味わえる】という点で、他の天守とは一線を画します。
現存天守に足を踏み入れた瞬間、その時代にタイムスリップしたかのような感覚を味わい、歴史の息吹を肌で感じることができます。

実際の城が示す現存天守の魅力

具体的に、現存天守の魅力を感じられる例を実際の現存天守でみてみましょう。
まず長野県にある【松本城】です。
松本城は日本を代表する現存天守の一つで、【国宝】にも指定されています。戦国時代に築かれたこの五重六階の黒い天守は、当時の武士たちの生活をそのままに伝え、訪れる人々に歴史の重みを実感させます。
天守にある急な階段や、外部からの攻撃を防ぐための【石落とし】【銃眼】など、現存天守ならではの防御機能が見られることも、歴史ファンにとってはたまらないポイントです。

もう一つの代表的な現存天守が【姫路城】(兵庫県)です。
こちらも天守をはじめ、櫓や各建造物が【国宝】や【重要文化財】に指定されています。
さらに【ユネスコ世界遺産】にも登録されているザ・観光名所!といった感じ。
姫路城と言えばその美しい白漆喰の壁が印象的ですよね。しかしこのお城の構造は、ただ美しいだけではなく、徹底的な防御のために考え抜かれた縄張りが見て取れます。
大手門から天守までの間はまさに迷路といった感じです。場内には集まった敵を一網打尽にする【袋小路】やいくつもの【郭】や【門】があります。
また大きく曲がった通路などにより、進んでいくほど天守から遠ざかる錯覚に陥る設計がされていたりします。
石垣は【扇の勾配】と呼ばれる急斜面となっており、敵が容易に登る事を阻止します。

この様に「現存天守」だからこそ、見て感じ取れる貴重な体験・学びがとても豊富といえるのです。

現存天守と復元天守の違いを深堀り解説

現存天守はとても貴重で魅力的な建造物といえますが、復元天守を有するお城についてもまた別の魅力が詰まっており、お城好きの心をつかむ建造物と言えます。

現存天守と復元天守の違いを改めて確認し、復元天守の魅力についてもみていきましょう。

現存天守と復元天守の違いとは?

先にも述べましたが、現存天守と復元天守は、どちらも日本の城を代表する建造物ですが、大きな違いがあります。
簡単に言えば、【現存天守は江戸時代以前に建てられたオリジナルの天守】であり、【復元天守は失われた天守を後に再建したもの】です。この違いは、歴史的な価値や訪れる人々が感じる感覚に大きく影響を与えます。

現存天守はそのまま当時の姿を保ち続けており、歴史の「生き証人」としての価値を持っています。一方、復元天守は失われた天守を資料や記録を基に再現したもので、当時の雰囲気を伝えようとする意図がありますが、オリジナルではないため歴史的な価値においては現存天守に劣ります。

 復元天守の魅力

とはいえ、復元天守には「復元天守ならではの魅力」があります。

復元天守では、失われた天守の姿を現在の技術で再現することで、当時の城の壮大さや美しさを目の当たりにすることができます。
また、多くの復元天守には博物館機能が備わっており、城の歴史や背景を学べる展示が豊富に揃っています。名古屋城や大阪城では、天守の内部に展示スペースが設けられ、城主や武将たちの生活、さらには戦いの歴史などを詳しく学ぶことができます。

ただ復元天守の限界は、やはり「本物ではない」という点にあります。どれだけ忠実に再建されても、当時の素材や技術、さらに時代背景を完全に再現することはできません。そのため、復元天守を訪れた際には、オリジナルの歴史的価値を求めるのではなく、【歴史を学び楽しむ場】としての側面を意識すると、より満足できるでしょう。

現存天守はなぜ12しか残っていないのか?歴史的背景に迫る

これまでにも申した通り、日本に残る現存天守は「わずか12城」しかありません。これほど少ない理由は、歴史的な背景に深く関係しています。

次では数あるお城のうち、なぜ12城しか現存出来なかったのか、歴史的背景も含めてみていきましょう。

なぜ多くの天守は失われたのか?

多くの天守が失われた理由は大きく分けて2つの要因が考えられます。

それは【戦争や火災】という被災的要因と【明治時代の廃城令】と呼ばれる政治的な要因があると言えます。

まず【戦争と火災】について
日本の城は、その当時重要な軍事拠点として機能していました。それ故に戦国時代においては各地の領地争いの戦において、多くの城がその舞台となります。
敵方が城に攻め入り、落城の憂き目にあう天守が戦火に包まれることも少なくありませんでした。

また、その後の平和な江戸時代には城としての役割が薄れましたが、現代のような防火設備もない城は事あるごとに火災の被害に遭い、その都度多くの天守が消失しました。

そして【明治時代の廃城令】です。
こちらも天守の消失に大きく影響しました。
明治維新後、政府は城を廃止し、軍事拠点としての役割を終えた天守は次々と取り壊されました。
これは、新政府が中央集権化を進める中で、地方大名の力を削ぐために行われた政策の一環でした。この政策により、城の維持や修復が行われなくなり、老朽化した天守が取り壊されるか、売却されることが多くなりました。現存天守が12しか残っていないのは、この廃城令による影響が非常に大きいと言えるでしょう。

具体例で見る天守消失の理由

では天守消失の理由の具体例を実際の復元天守を例にして何点かご説明しましょう。

大阪城

大阪城はかの豊臣秀吉が築城した戦国を代表する名城の一つでした。しかし秀吉死後、関ヶ原の戦いを経て権力を握った徳川家康により、豊臣家を滅亡に追い込む大阪の陣が起こります。
その際に大阪城の天守は燃え盛る炎に焼き尽くされ、消失します。
天守に限らず豊臣時代の大阪城の遺構は徳川幕府によりほとんどが埋め立てられてしまいます。
2代将軍の徳川秀忠によって大阪城が再建されますが豊臣時代の遺構は再利用せず、縄張りから実質的な新築として建てられました。よって秀吉が築城した遺構は永遠に見ることが出来ません。
つまり我々は徳川幕府が再建した大阪城の遺構を見ている事となります。
再建された大阪城も幕末の戊辰戦争時にやはり戦禍をこうむり、天守も消失します。
現在そびえ立っている天守は1931年(昭和6年)に鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)構造で、徳川時代の天守台跡に建築されたものとなります。

名古屋城

名古屋城は江戸時代初期に建てられた巨大な城で、天守も大変立派でした。
しかしこちらは、【第二次世界大戦中の空襲】によって天守は焼失してしまいました。現在の名古屋城の天守も復元されたものですが、現存天守ではありません。このように、戦争や空襲が天守の消失に大きく関わっていることがわかります。

 まとめ:現存天守を巡る楽しさと学び

いかがでしたでしょうか。
今回は【現存天守】というキーワードに注目してみました。

普段目にしている近くのお城は、実は現存天守(もしくは復元天守)だった!なんて気づく事ができるかと思います。
その際にこれらの意味を理解した上での歴史的観点や、自分なりの考察もしながら改めてお城巡りをしてみると、より一層興味を持てるかと思います。

是非参考にしていただき、お城巡りを楽しんでみましょう。

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